父の納骨 
月曜日, 12月 25, 2006, 06:54 AM - 2006年12月
 暮も押し詰まった昨日の日曜日に京都東山の大谷本廟へ父の納骨に行ってきました。浄土真宗の開祖である親鸞聖人がそこにまつられているということで、「その徳にあやかって、おそばに永遠に眠りたいということで、本廟への納骨という風習があるのだ」とお寺さんの奥様におききしました。ただ、大谷本廟の「無量寿堂」という納骨堂で、若いお坊様の透き通ったお経の声をきいていると、心が洗われるようでした。親鸞聖人の言われるとおり「諸行は無常」であり、死すればどのような聖人であろうが罪びとであろうが、すべての人は土に帰る。人生は一度しかないのだから、人様に迷惑をかけない限り、自分のやりたいことにチャレンジするという姿勢を持ち続けることは、とても大切なことだ、と改めて実感しました。また、新しいエネルギーを父からもらったような気がして、とてもすがすがしい気分になれたということを報告しておきます。

1 comment ( 62 views )   |  related link

第九合唱 
月曜日, 12月 18, 2006, 06:21 AM - 2006年12月
 17日までは歌手だからと、あれだけ用心していたのに、風邪を引いてしまいました。ちょっとせきが出ますが熱はないので、たいしたことはなさそうです。でも、みなさんに、「風邪をひくな」「うがいをしなさい」と言っている本人が風邪ひいたんでは、面目ない。「たるんでいる」としか言いようがありません。
 それでも、声は良く出ます。先週の「第九合唱」のオーケストラとの合同練習では、指揮者の先生が「ソリスト(独唱)をやりたい人は前に出てください」というので、バリトン(中・低音部)代表で指揮者とオーケストラの間に立って、オケと合唱をバックにしてソロを歌わせてもらいました。こういう経験は、めったに出来るものではなく、自分でもとても感動しました。合唱団の人やオケの団員の方から「とてもよかったですね」と言われると、ついついその気になってしまいます。
 そして、昨日の日曜日、四日市文化会館で催された、ベートーベンの交響曲第九番「合唱」の演奏会に、合唱団の一員として参加しました。3ヶ月ほどの練習期間を通じて積み上げてきた努力の成果を一気に歌い上げたわけですが、それは、まことにさわやかな達成感のあるイベントで、自分自身がその感激に酔いしれました。
 ベートーベンの「第九」には、二つの意味が込められています。ひとつは、「喜び」です。耳が聞こえなくなっていたベートーベンは、この「第九」のはじめての演奏を指揮し終えたときに、観客の割れんばかりの拍手喝さいが聞こえず、振り向いて観客の表情を見て、ようやくその熱狂振りに気づいたということです。彼は、「苦悩を突き抜けて、歓喜に至れ」という有名な言葉を残したそうですが、健康でいればこそ、このような演奏会に参加できるという喜びをかみしめました。
 第二の意味というのは、これも演奏会のパンフレットに書かれていたことですが、「平和への願い」です。ベートーベンが生きた200年前、19世紀の始めも、ナポレオンが活躍していた戦争の絶えない時代でした。この歌を歌えるような平和で豊かな日本のような国がある一方で、貧困や戦禍に苦しんでいる人々も世界中には多くいます。実は、シラーの書いた歌詞の中には「すべての人々がみな兄弟になる」という言葉があって、世界の人々の平和を願うという強いメッセージが込められています。
 「こういうメッセージを観客の皆さんに届けるように歌おうじゃありませんか」という指揮者の浜津先生の言葉に促されて、まさに激唱してしまいました。たくさんの皆さんに来ていただきましたが、このメッセージの一端をハートで感じていただいたとしたら、これほどの喜びはありません。ありがとうございました。


ワーキング・プアー 
月曜日, 12月 11, 2006, 06:46 AM
 昨日の日曜日、NHKの大河ドラマ「功名が辻」のすぐ後のNHKスペシャルという番組で、「ワーキング・プアー」というテーマを採り上げていたのですが、見てとても感動しました。昔、石川啄木が「働けど、働けど、我が暮らし楽にならざリ、じっと手を見る」という歌を詠みましたが、まさにそれを地でいくような話です。番組では、離婚しながら二人の男の子を昼と夜の二つのパートの掛け持ちの収入18万円で養っている北海道の主婦の生活が紹介されていました。母子手当てが最近の税制改正によって削減されたために、ますます生活に困っていると涙ながらに訴えていました。また、80歳と75歳の老夫婦は、若いときには年金を払い込む余裕がなかったために無年金になり、二人で空き缶の回収をやって稼ぐ5万円の収入がすべてだということですが、70万円の貯金があるために、生活保護も受けられないということです。ご主人が、心臓の不調をきたしても、病院にいくことさえ出来ません。
 これについて、専門家がコメントをしていました。一人は、安倍内閣の財政諮問会議のメンバーでもあるYさんです。「こういう状況を解消するためには、企業の国際競争力を高めて経済成長を促進しなければならない。中小企業も企業である限りは、儲かるように体質改善をしていかなければならないのは当然だ。あとは、所得の分配の問題だ」といいます。残念ながら、私は彼の意見に賛成することは出来ません。彼の言うのは「強者の論理」でしょう。もう一人の専門家は、評論家の内橋克人さんです。「今日ここに見る無年金の老人の姿は、若者の明日の姿でもある。貧困の再生産をするような社会は、国家とはいえないのではないか」という内橋さんの言葉の方が説得力があるように思いました。
 土曜日の夜に乗ったタクシーの運転手さんがぼやいていました。「T社は、全正社員のボーナスの平均が230万円ときいたけど、自分は勤続35年やけど、30万円しかあらへん。」「中小企業はみんな苦労している。30万でももらえるだけ有難いと思わなあかん」と答えるのがやっとでした。「企業の国際競争力を高める」という政策は、格差をますます拡大する方向にしか働かないのではないかと思えてなりません。ん?兆円も利益を出せるようなT社は景気拡大の牽引車となるのでしょうが、その陰で下請けの中小企業は塗炭の苦しみを味わっています。強いものだけが正義だと言わんばかりの社会が長続きするはずがありません。戦前の話かとみまがうような、「じっと手を見る」生活困窮者を作り出す世の中が、正しい世の中であるはずもありません。むしろ、「一生懸命に働く者がきちんと報われる」ような公正な世の中を作るべきだと私は思います。


挨拶の効用 
月曜日, 12月 4, 2006, 06:28 AM - 2006年12月
 国道23号線から楠工場へ向かう途中のサークルKの近くで、下水道工事かなんかをやっていて、この1週間ほど片側通行になっているところがあります。わずか20mほどの区間ですが、わざわざ警備の人がその両側に赤白の旗を持って、寒い中を交通整理に当ってくれています。
 まことにご苦労なことだと思って、毎日その区間を通るたびに、軽く手を上げて心の中で「ご苦労さん」と言っていたのですが、この間は、私がいつものように手を上げると、警備のおじさんがにっこり笑って、会釈をしてくれるではありませんか。どうも、私の顔を覚えてくれたようです。
 たわいのないことかもしれませんが、毎日の挨拶で、「ご苦労さん」「わかってくれてありがとう」という声にならないお互いの気持ちが通じ合ったような気がして、とても嬉しく思いました。
 みなさんには、毎朝のミーティングのなかで、「オアシス」の発声もやっていただいていますが、職場も重要な生活の場ですから、お互いが気持ちよく過ごせるように、気持ちのよいあいさつを心がけたいものだと思っています。

  *オアシス=おはよう/ありがとう/しつれいします/すみません


外国人研修生 
金曜日, 12月 1, 2006, 06:42 AM - 2006年12月
 先日NHKの「クローズアップ現代」という番組をみていたら、外国人労働者の雇用の実態というテーマでその問題点を指摘していました。愛知県のある自動車部品工場では、ベトナムからの研修生を大量に受け入れ、時給350円で1日12時間以上働かせた上で、逃げないようにパスポートを取り上げて,寮の一室に10人も押し込めるという、全く人権無視の劣悪な労働環境にベトナムの少女たちが泣いている、というレポートでした。まるで戦前の「女工哀史」のような話ですが、これが「史上最高益」に酔いしれている自動車産業の実態なのかなと思います。
 一部の超大企業は絶好調で景気を引っ張る牽引車の役割を果たしているわけですが、その陰で、下請けの中小企業には違法まがいのことを平気でやらせてその成果を全部吸い上げているという構図が浮かび上がってきます。外国人労働者は、「なんとか組合」という業界組織を通じて、「3年間の研修生」という形で日本に送り込まれるルートになっているのですが、研修とは名ばかりで、実態は格安の労働力ということのようです。
 私は、歯を食いしばっても違法な外国人雇用には手を出すまいと思っています。外国人を差別しようということでは決してありませんが、日本に対して恨みをもたれるようなやり方は良くないと考えています。「安い労働力」として外国人を使うだけ使っておいて、いらなくなったらポイ捨てにして、地域の犯罪の温床になっても平然としている、というような非人間的なやり方をしていては、どんな超優良企業にも必ず天罰が下る、ということにならなきゃええんですがねえ。



Back Next