冤罪はこうして作られる? 
月曜日, 10月 26, 2009, 06:30 AM
 わが社の最寄り駅は近鉄の霞ヶ浦という、いかにも田舎らしい小さな駅だが、「事件」はわりと広めのその駅前広場でおこった。

 ある朝、会社に出勤すると警察署から私に電話があり、
 「おたくの会社のTさんに警察に来てもらっています。霞ヶ浦駅の駐車場に止めてあった車にTさんがいたずらをしたということで、車の持ち主から110番通報があったんです。その持ち主は、2週間ほど前に車をパンクさせられたのだけれども、Tさんに『お前がやったのか』ときいたら『すみません』と言ったというこで、事情を聴くためにTさんにここに来てもらいました。ただ、持物を検査したり、本人の話を聞くと『やっていない』ということなので、事件性はないと判断しています。身元引受人として社長さんに来ていただきたいんです。」

 びっくり仰天して、すぐに警察に駆け付けた。Tくんというのは、軽度の知的障害があって、非常に臆病な性格で、仕事はまじめにやるけれども人様のものを傷つけるような大それたことはできるはずがないと信じていたので、本当に信じられない思いでT君を警察署へ迎えに行った。

 無事に釈放となった本人の顔を見るなり、
 「おまえ、いったい何をしたんや」
 というと、
 「僕は何にもしてへんよ」
 という返事が帰ってくる。
 「ほんまか」
 と念押しすると、
 「ほんまやて、僕、何にもしてへん。車のテールランプにほこりが積もっとったんで、指でちょっと触っただけや」
 「そこまで言うんやったら、ほんとやろう。そしたら、現場に行って何があったんか、俺に説明してくれ。」

 ということで、霞ヶ浦駅に行ってみると、確かに、駐車場(とはいっても月極めの駐車スペースではなく、人や車の出入りする駅前広場のド真中)に高級車が放置されているように見える。『パンクさせられた』というが、よく見るとタイヤがホイールから外れている。この場所でパンクさせられたのではなく,どこかでパンクした(か、させられた)車を、この広場まで移動してきたのは明白だった。

 Tくんが、その車のテールランプに指で触れたのをたまたま見ていた車の持ち主が、T君を追いかけてきて腕をつかみ、『お前、俺の車に触っとったやろ!お前が(パンクを)やったんか』と迫ると、気の弱いT君は、申し訳なさそうに『すいません』と謝る。確かに、車に触ったのは間違いないわけだから。そこで、110番通報となり、警察にまるで犯人扱いで連行されることになってしまったという訳である。何かの事情でもし警察が『白状したら家に帰してやるから、これにサインしなさい』などと言って自白調書にサインを求めたりすることがあったとすれば、気の弱いT君は、いとも簡単に『はい、わかりました』と言っていたに違いないと思うと、ぞっとする。ちょうどこの日に、栃木の菅谷さんの再審が始まるというニュースが流れていたが、『冤罪』というのはこうして抵抗しない弱い者に対して作られてしまうのか、という思いを強くした。

 この車の持ち主が、パンクをさせられた被害者ということで、多少同情すべき点はあるが、T君はとんでもない濡れ衣を着せられ、「犯人扱い」という屈辱を受けたまさしく『被害者』であることは間違いないと確信した。現場を一目見れば、Tくんがパンクの犯人でないことは明らかではないか、ということで警察に対しては、あとで強く抗議をした。また、霞ヶ浦駅に対しても、広場に迷惑駐車を放置しているということで抗議したことは、言うまでもない。


理科系大学生の企業見学会 
金曜日, 10月 9, 2009, 10:15 AM
 9月の初め、「理科系大学生の市内中小企業見学ツアー」を受け入れさせていただく栄誉を得た。地元出身の理科系の大学生などに「ものづくり」を中心として栄えてきた四日市市の特色ある産業・中小企業を知ってもらい、また、その経営者と直接交流する機会を持ってもらおうと企画された地域振興事業の一つである。

 当日は、20名ほどの参加者に会社概要や事業の考え方などを説明した後、工場内をくまなく案内し、「ものづくり」の現場をつぶさに見てもらった。こちらも学生のほうも、直接リクルートにつながるとは考えていなかったけれど、「フジイネンシ」をアピールするのにはいい機会かなと思って気軽に引き受けたのだったが、意外なほどに好評だったと聞いて、嬉しくなってしまった。後日、田中俊行市長にお会いした時も、過分の謝辞をいただき恐縮した。

先週、見学ツアーに参加された学生さんからの所感文集が届いたので、差し障りない範囲でその一端をご紹介しよう。


1.製造現場を見たり、経営者の話を聞いて感じたこと
○現場において、従業員の熱意が見られた。それは、経営者(社長)の考え方(例えば、従業員と社長が対等な立場でいることや、大した学歴がなくても、開発ができるということ。)があるためと感じられた。
○社長が社員の話をしているときにとても嬉しそうにしていたのを見て、大企業ではなかなかない光景だと思いました。社員に支えられているという社長の言葉を聞いて、素晴らしい会社だと感じました。
○色々な事に興味を持つことで、先を見ていくことができるようになっていくということを聞いて、納得をできる感じが持てた。
○会社を興したときから、目標、やりたい事がはっきりしていました。
○社員を大切にしている会社だと感じた。個人を大切にし、本人の意思を尊重している会社だと思う。現場は今日回った3社の中では一番古く、外から見ると大丈夫なのかと思える様な感じだったが、中は特殊な機械などがたくさんあり驚いた。特許の取得に関する話も、改めてものづくりの職場の本質を教えられた。
○実際に稼動している状態での見学だったので、騒音に驚いた。ただ一言にカーペットを作るという訳だけれども、糸を紡ぐことから始め、どんどん糸を作っていき、やがて何枚かのカーペットになると考えると、ものづくりは地道だなと思った。
○すごく親しみやすい社長さんで、大学で学ぶ知識が決して必要であるとは限らず、人間力や自分の考えを持つといった気持ちや精神が大切なことであるということを熱弁されており、とても為になりました。
○中小企業がグローバルに競っていくためにも、スピードが重要であること、それには常にベストを考えなくてはならないということを強く感じました。原料費、原料の貯蔵、供給の仕方、人件費などランニングコストを限りなく小さくすることの厳しさを感じました。思いが込められるから、何かしらの反応することができる「試行力=人間力」という社長の言葉が印象に残りました。
○カーペットの製造する会社を訪問したのは初めてで、とても新鮮でした。紡績会社の見たことはありましたが、実際に糸を作っているところを見られて良かったです。糸によってカーペットの出来上がりが全然違うことに驚きました。カーペットにもピンからキリまであって、高いものだと1枚で4kgも糸を使うことにびっくりしました。社長の言っていた自分の考えをしっかり行動できる人になりたいと思いました。
○事前にもらった資料を見て、「人間力とは一体どういったもののことを表すのか。」と疑問に思っていたが、社長さんの話を聞いて、仕事のときはもちろん、仕事以外の場所においても人としての魅力あふれる人物であるというものだと感じた。
○とにかく元気な社長さんが印象的でした。他の会社でもそうでしたが、機械の性能やシステムを工夫するのは何処の会社でもやっている事であって然るべきものであると思います。会社、企業も最終的には人のために人が動くものなのだから、人と人とのつながりが最も大事なのではないかと思いました。そういう意味では、自分はコミュニケーションが全くできなかったりと、人間としてまだまだできてないなあと感じました。常に先の事を考えて動いている社長の姿勢に感銘を受けました。
○外国製の大きな機械があり、扱うのには非常に気遣わなければいけないと思ったが、トラブルがあったときに海外の業者の方が現地で調べられると聞いて、そのようなところでもコストや時間を削減しているのだと思った。繊維技術はほぼ完成されているものなので、小さなところでのコストや環境に対する考えがより強く考えて、そのための自立学習がとても重要なのだと思った。
○自動化して人件費を減らしたり、原料や糸の織り方を工夫して徹底的にコストダウンが図られていた。社長もそうだが、説明してくれた小西さんは詳しく細かくわかりやすく教えていただきました。何より自分の仕事に対する情熱が感じ取れ、すごく楽しそうでした。
○勉強することは、考える力のもと。湿度、温度調整のために、窓や天井が低く設置されていた。

2.あなたが魅力と感じた企業のポイント
○タイルカーペット、自動車などのシェアが高く、人々の生活に貢献しているところ。仕事を通して人間性を育てるところ。環境問題対策をするなど行動力があるところ。社長が明るく意欲があるところ。日本に1台しかない機械があるところ。
○業務の改善等、発言できることは発言できると感じた。
○社長が社員を大事に思っていること。学歴など関係なく大事なのは技術と努力、自分の考えを持つといったところから、会社の理念などとても素晴らしいと感じました。
○企業理念であるAAA by HHH(Active,Advanced,Accountable)(Hand,Heart,Head)が魅力である。仕事をする上で大切なことである。→ 全ての仕事をするのに必要。 
○隙間産業において、いかに良い糸を低価格で作られていた点。
○【社員を大切にしているところ】
  会社で長い間(一生)働くと決める時、コストダウンのためといってすぐクビにされるより、自分の技術が必要だから頑張ろうと言ってくれる会社の方が魅力的と感じた。
【気持ちの在り方】
モチベーションが上がらないと業績も上がらないので、些細なことでもプラスで考えるのが良い。
○とにかく社長さんがすごく気さくだなと思った。重苦しい雰囲気よりも明るい雰囲気の方が活気があり、働きやすいと思った。重役の方が身近に感じられる企業。
○ニッチマーケットを展開している会社。
○少ない従業員数でも十分に世界と戦うことができるような、従業員一人一人のエネルギーとチームワークにとても魅力を感じました。
○糸を作る技術に感心しました。撚りを左右交互に撚っていくという技術を思い付いた人はすごいと思います。その技術を売りにしているところも魅力だし、そうやって新たな技術を開発できる人材がいるということがこの会社のいいところだなと思いました。
○アジアで1台だけの機械を導入するなど、生産性を上げるための努力を惜しまない企業。人間力あふれる社長。
○社長が情熱的で、人間的にとても面白い方だと感じました。企業経営の話だけでなく、人生についての社長の考えを聞くことができました。
○人と人とのつながりや信用を大切にしている事。社長の元気さ。
○現状維持ではなく、常に新しいものを取り入れ、先を見据える企業方針。教養を広めるため、様々な事に興味を持ち、自ら行動を起こすという考え。
○社長の人柄、自分の会社のことだけでなく、就職活動や社会人に必要な人間力を養うことが大切と教えていただきました。自分の会社の社員をすごく大切にしていると思い、こういう人の下で働きたいと思える人でした。

以上

藤井由幸

岡田克也外務大臣 
日曜日, 10月 4, 2009, 10:47 PM
 先の総選挙以来初めて地元に帰って来られた岡田代議士の、外務大臣就任報告会というのが、10月4日(日)四日市のホテルで開催されたので、さてどんな顔で凱旋されるのやら見てやろうということで、私も末席に参加させていただいた。

 野党の駆け出しのころからずっと応援をさせていただいていたが、10人程度のミニ集会で議論を戦わせた時のような近さはもはや卒業され、屈強なSP数人と多数の報道陣に取り囲まれて会場に入場された時には、少し体が小さくなられたのではないかと錯覚してしまった。 四日市市長の歓迎のあいさつの後、演台に立たれた岡田さんは、10分ほどの短めのスピーチの中で、地元民の変わらぬ支持への感謝を述べられたあと、次の二つのことを外務大臣としての初仕事としたと云われた。

 ひとつは、アメリカとの「密約」に関する調査を期限を切って実施するように、事務次官に命じたこと、そしてもう一つは、記者会見をそれまでの記者クラブの会員だけではなく、雑誌記者、外国メディア、フリー・ジャーナリストにも広げるようにしたということ。いずれも、情報公開の在り方についての大臣としての見識を問われる問題であり、岡田さんらしい公明正大なやり方だと思った。 ただ、外務大臣として鳩山総理から任命されたのは、本当のところはどう感じていたかといった際どい話は出てこなかったのは、公式の場であるしやむを得ないとはいえ、残念な気がした。

 その後、私の近くまで来られる場面があったので、「岡田さん、ハードスケジュールでしょうけど、これからが肝心ですから、体を壊さないようにがんばってくださいよ」と声をかけると、「藤井さんのようにいつも元気でいられるといいけど、今朝6時半に、カンボジアから中部空港に着いたばかりだし、海外出張が多いと時差でよく眠れなくて」とおっしゃる。すかさず、「海外出張の時には睡眠薬を処方してもらって、むりやりでもきちんと睡眠をとらないとだめですよ」といったものの、あとで、この日の朝中川元財務大臣が睡眠薬が原因かもしれない変死で発見されたと聞いてぞっとした。 少しお痩せになったようにお見受けしたが、本人も気にしているらしく、「健康増進のために、ゴルフでもやりたいんですけど時間がなくてねえ」という愚痴のようなため息が口をついて出てきた。

 これで、話は立ち消えになってしまったのだけれど、本当はもう一言だけ申し上げたかった。それは、「政治家は声が命ですよ。声に力がないと、語る言葉に説得力がない。だから、声の力を失わないように体調を整えてほしいんです。できれば、プロのコーチについてボイス・トレーニングをやるくらいのことを考えてほしいんです」ということ。これは、また次回にしよう。


富蔵から仁吉へ 
火曜日, 9月 22, 2009, 08:40 PM
 「シルバーウィーク」という聞きなれない名前の連休を利用して、都留重人先生の書かれた「科学的ヒューマニズムを求めて」と題する論集を読むことができた。93歳で亡くなられた都留先生が、86歳の時に出版された本だけれども、その鬼気迫る迫力に満ちた文章には誠に圧倒的な感銘を受けた。1947年に第一回の「経済白書」をほとんど一人で執筆されてから約50年、老経済学者から見たバブル崩壊後の世の中の動きは、誠にご自身の理想からはほど遠く、歯がゆいものであったように思われる。

 そんな中に、東京オリンピックのころに都留先生がオーストラリアで行った講演の内容を次のように引用していたのが特に印象に残った。それは、先生の人生哲学を明瞭に示しながら、日本の将来のあるべき姿について論じたものだということだった。今、まさに政権の交代が起こり、鳩山総理大臣が「友愛」の旗印を掲げ、日本の改革を目指して船出をしようとしている。そのことと符合しそうな以下の講演内容だが、都留先生が御存命なれば、この変革の始まりを見てどのような感慨をもたれるのだろうかと想像するのだった。

  『私は、日本が採り得る選択肢の性格を例示するために、日本の古い寓話を使った。それは、力兵衛・富蔵・仁吉という三人の兄弟についての寓話である。最初のうちは長兄の力兵衛が彼の腕力にものを言わせて家族内の支配権を握っていた。「力は正義なり」が原則だったのだ。しかし、年が経つにつれて、力兵衛の腕力にも衰えがみられるようになり、おかげで以前のようには彼は権力をふるえなくなった。その頃になると次兄の富蔵は、大きな蔵をいくつか建てるくらいに蓄財に成功し、今や彼が家族内で一番大きな発言権を持つようになっていった。つまり、第一人者としての基準が「力」から「富」へ移行したのである。


 ところが或る日のこと、その村に火事が発生し、その火事で富蔵の所有していた蔵が全部焼けてしまい、一夜にして富蔵は無一文状態になった。しかも火事に続いてむらには疫病が発生したのである。ところが末弟の仁吉は、かねてから医術の勉強をしていたので、その疫病に対する専門的な処置をただちにとることが出来、数多くの村民の命を救うことができた。今日、その村へ行くと、仁吉の銅像が村役場の前に建っているという。「仁」が「力」と「富」に勝ったのである。
 

 この寓話は、人間社会における権威や影響力が何を主軸とするかについての歴史的素描であるといってよい。一つのコミュニケーションの中では、右のような「力兵衛から富蔵へ」、「富蔵から仁吉へ」という進歩がまがりなりにもみられるが、国際社会での権威の基準もまた、移っていくであろうことを確信している。日本は、「力」の基準で判断される「一流国」の一つではなく、そうありえないし、またそうあってはならない。日本は、「富」の基準で判断される「一流国」の一つになりうるかもしれないが、今のところなってはいない。(注) 私は、日本が「仁」の基準で判断される「一流国」の一つになることが出来ればと念願している。この世界には「仁吉」の時代が必ず来るだろう。なぜなら、もしも「力兵衛」や「富蔵」の基準がさらに助長されるようなことになるなら、この地球は人類の栖としての適性を失うのではないかという疑念を、私はひそかに抱いているからである。』

 (注)1998年に出版されたこの本の中で都留先生は「いまや日本が一流の経済国であることは、一般に合意されているところである」と修正している。

福沢諭吉翁訓 
日曜日, 8月 16, 2009, 09:41 PM
 8月10日(月曜日)に岐阜にあるお取引先の工場長にお会いしました。その際に、今のような不況の時にこそ、「企業は人なり」といわれるように、社員の一人ひとりが力を発揮することが肝要。そのためには、社員教育などを通じて社員のレベルアップをし、気持ちを一つにして頑張ることが、この際会社にとって一番大切だという点で意見の一致をみました。

 すると、その場の応接室の壁に掛けてあった、「福沢諭吉翁訓」という額に自然と目が移りましたが、「企業は人が大切、人でもつ」という考え方にぴったりの訓示だと思いましたので、みなさん、もうよく御存じなのかもしれませんが、味わってよく読ませて頂いたものですから、ここに改めて書き記しておくことにします。百数十年も前に書かれたものとは思えぬ現代的な感覚で心に響くものがあります。

一、世の中で一番楽しく立派なことは、
  一生涯を貫く仕事を持つことである。

一、世の中で一番みじめなことは、
  教養のないことである。

一、世の中で一番さびしいことは、
  仕事のないことである。

一、世の中で一番みにくいことは、
  他人の生活をうらやむことである。

一、世の中で一番貴いことは、
  人の為に奉仕して、決して恩にきせないことである。

一、世の中で一番美しいことは、
  総てのものに愛情を持つことである。

一、世の中で一番悲しいことは、
  ウソをつくことである。


藤井由幸

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