政治家の信頼感 
日曜日, 5月 3, 2009, 03:19 PM
 民主党の小沢代表の秘書が政治資金規正法違反の容疑で逮捕されて以来、しばしば、「あなたはこの事件についてどう思いますか」と問われる。私は、その都度、次のように答えるようにしていた。

 『小沢さんの説明はとてもへたくそで、言い訳がましいことを聞いていても納得はできない。検察を批判するのも程々にしておいた方がいいのではないか。 ただ、小沢さんを含めて政治家に対して余りの潔癖さ(金の面でも、女性の面でも)を求めすぎるのはいかがなものか。そういう情緒的なことに流されてしまいやすいのが日本人の悪い癖だ。もっと、政治家が本来的に持っている「高邁な理想の実現」という夢のテーマの追求を、信じて、応援してやる気持ちになれないものだろうか。政治家自身の責任もあるのかもしれないが、政治家たちがあまりにも軽く見られすぎているのではないかと思えてならない。
 今度の事件にしても、贈収賄などの事実があるのならともかく、政治資金規正法の不実記載という、いわば形式犯でもって、次の総理となって国の指導的役割を担うべき人の政治生命を危うくする、という検察の行動、その後のマスコミの小沢バッシングの嵐というのは、極めてバランスを欠く行為であり、常軌を逸しているとしか思えない。このような「頭を働かせたとは思えないムード的な行為」が国の方向を誤らせるのではないか。何のヴィジョンも持ち合わせていないマスコミが、さも判ったようなしたり顔で政治家をよってたかってバカ呼ばわりし、政治家の信頼感を貶めることを是とする風潮は誠に情けない。今は、小沢さん、嵐に耐えて頑張れ!と判官びいきの私は彼を励ましたくなる。』

 というようなことを言ってきたのだけれど、先ごろ発売された文芸春秋を読んでいたら、京都大学の中西輝政さんが、私の考えていたことと同主旨のことを、戦前の歴史的事実に基づいて論理的に組み立てて書いているのを発見した。中西先生はどちらかといえば右派思想の持ち主で、今まで彼の意見に賛同できることはあまりなかったが、今度ばかりはわが意を得たりと、心から感動した。
 思わぬ形で岡田克也代議士が民主党の代表に返り咲き、選挙に勝って総理大臣になれば、それはそれで嬉しいけれど、「考える力」を持たないマスコミが寄ってたかって自分たちの指導者たるべき人の足を引っ張るようでは、国の未来は見えてこないと思う。中西先生の言うように、吉田茂も、佐藤栄作も、チャーチルも、歴史的な大仕事をする前に葬り去られてしまっていたということではないか。本当にそれでいいのだろうか。

藤井由幸


お浄土 
火曜日, 4月 21, 2009, 07:01 AM
 昨晩、友人のご母堂の通夜式があり、伊勢市内の式場に参列してきました。一通りの儀式が終わった後、最近ではめずらしく、10分か15分くらいだったと思いますが、浄土宗の和尚さんが法話を聞かせてくださいました。当たり前の中身なのですが、そのお話がなぜか心に心地よく響いたものですから、不謹慎かもしれませんがここに認めておこうと思います。

 まず、亡くなられた夫人はご主人を二十余年前に先立たれたのち、熱心な仏徒となられ、この和尚さんの寺に足繁く通われるようになったということで、和尚さんは大体次のようなことを話されました。

   『故人はつい二日前までは元気にしておられたが、喉にものを詰まらせてそのまま帰らぬ人となられた。そのように言うと、弔辞などを読む人は往々にして「二度と会えぬ旅立ちに出られた」などという表現をすることがある。しかし、その表現は不適切というよりほかない。というのは、故人は南無阿弥陀仏という6文字の念仏の力に導かれて「お浄土」に薨られたのであるから、「二度と会えない」ということは、自分は将来地獄に落ちると言っているも同然だからだ。この世に生きとし生けるものは、諸行無常の摂理により、その生を全うした後はただひとつの例外もなく必ず浄土へと導かれる。したがって、今日のこの夫人の姿は、明日の自分の姿となるかも知れぬ。自分だけはいつまでも生きられると思うのは大きな間違いだ。人生一寸先は闇である。いつお浄土への旅立ちを迎えることになっても、誰に恥ずることもなく、「充実した人生であった」と言えるように、一日一日を精一杯生きるということが大切なのだ。そのことを今日のこの機会にもう一度噛みしめていただければ、故人もみなさんとの一期一会の縁を喜んで旅立たれることであろう。』

 このような話に感動を覚えるようになったのも、還暦が徐々に近づいて、自分もいつ「お浄土」に導かれても良いようにしておこうという覚悟を少しずつ固めるようになったせいかもしれない。そう思いつつ、今日は往復200キロの路を走った甲斐があったものだと充実した気分で家路を急いだのだった。 合掌

藤井由幸



テポドン狂想曲 
土曜日, 4月 4, 2009, 06:43 PM
 北朝鮮が発射するらしいというテポドン・ミサイルについての報道がかまびすしいといったらない。挙句の果てに、「飛翔体」が発射されたという誤報まで出て、「いったい日本の危機管理はどうなっているのだ」と識者が物知り顔に解説をする。全く笑止千万と言うしかない。「北」の人工衛星のことなど、大騒ぎせずにごく一部の人だけが本当の危機に備えて警戒態勢を組む演習とすればよいではないか。

 一番の問題は、北朝鮮の「人工衛星を名目としたテポドン・ミサイルの発射」という挑発を政治的に利用しようとしていることだ。支持率低迷にあえぐ麻生政権にとっては、小泉元首相と同様に「北の脅威と闘う姿勢」を政権浮揚のきっかけにしたいと考えていることが透けて見える。一方では、北朝鮮の軍事的脅威を煽ることによって、それに対抗するための「ミサイル防衛システム」の構築に向けての世論の理解を得たいと思っている人たちにとっては格好の材料となる。日本での大騒ぎには、アメリカの軍需産業もほくそ笑んでいるに違いない。金正日総書記にとっても、彼らのミサイル発射実験が世界中の注目を得ることになり、宣伝効果は絶大だ。彼にとって日本の対応は全く思う壺、笑いが止まらない、とはこのことだろう。

 なぜこのようなことになるかというと、NHKのような報道機関が、このような政府の意図を知ってか知らずか、「大本営発表」の報道を繰り返し垂れ流して、国民に危機をあおってしまっているという事実がある。少し世論が盛り上がってくると、「視聴率がとれるぞ、遅れてはならん」とばかりに民放などが輪をかけて大げさに報道するということが続いてしまう。このような報道姿勢が繰り返されれば、国民は、ただの人工衛星であっても、すぐそこに危機が迫っているかのような意識を持ってしまう。やれ迎撃ミサイルだ、パトリオットミサイルだ!と大騒ぎするのは、本当に気でも狂ったのか、なぜもう少し冷静に判断ができないのだ、と憤りが込み上げてくる。マスコミ報道の影響は絶大であるし、それだけにその責任も重大だと思う。

 「北」が人工衛星の実験だと言っているのは、「本当は弾道ミサイルの実験だけれども弾頭は積んでいないよ」というのと同義ではないのだろうか。それをあたかも核弾頭を積んで発射されるかのような態勢で警戒に当たるというのは、日本の防衛体制の予行演習としては非常に良い機会であるとしても、このようなことに世論を巻き込むのは異常としか言いようがない。ましてや市ヶ谷からパトリオットミサイルが発射されることなど、常識的に考えて絶対にありえないだろう。なぜなら、「飛翔体」が落ちて事故になるリスクよりも、パトリオットが当たる、当たらないにかかわらず、「飛翔体」がさらに拡散して被害を広げるリスクの方が大きいと考えられるからだ。

 「北」の脅威についてはきちんとした分析と対応、外交的な努力が必要なことはいうまでもない。だけれども、いたずらに危機を煽って結果として北との緊張関係を高めることは、長い目で見ても決して日本の国益に叶うこととは思えない。さらに、「国民は普段どおりに生活してください」という報道で、逆に無要な危機感を煽るような報道は、百害あって一利なしというべきだろう。

 今のところ、麻生内閣の支持率も順調に回復しつつあり、誰かの描いた筋書き通りに事が運んでいるようだ。でも、こんなことを言っていて自分の頭にテポドンが落ちてきたら、それも本望ということかな!?

藤井由幸


セクシーな声 
木曜日, 2月 26, 2009, 08:53 AM - 2009年02月
 近鉄特急の中で新聞を読んでいると、後ろの席から若い女性の会話が聞こえてくる。 何気なく聞いていると、どうやら受験のことを話しているらしい。「前期試験はちょっと失敗してしまったけど、後期でがんばろうと思っている・・・」などと言っている。そう言えば、今は国立大学の受験の時期なんだ。

 しかし、話の中身はどうでもいいのだけれど、彼女たちの声の響きは何と耳に心地よいのだろう。実にうっとりとするような陶酔感にひたれるセクシーな声だ。ああ、もうすこしさえずっていてほしい。うん、鳥も異性を引き付けるために鳴き声を発するのだとかいう。さすれば、人間だってアルファー波のような脳に心地の良い声によって異性を引き付けたり、引きつけられたりする本能が生理的に備わっているとしても不思議ではないじゃないか。

 そう言えば、最近教育テレビの番組だったかで、人間が異性を好きになる仕組みについてこんな解説をしていた。いわく、「人類には数万年も前から厳しい環境の中でも子孫を絶やさないという種の使命を果たすために、どのような異性に対して好感を持つかというメカニズムを築き上げてきた。男性は、いつ死ぬかもわからない環境の中で自分の遺伝子を残す相手を瞬時に見極めなければならない。その基準は、『女性の体形』だ。つまり、自分の子を宿してくれるかどうか,その体型を見て一瞬のうちに判断する。女性の方は、自分の産んだ子を少なくとも3年間、一緒になって育てることに協力してくれる相手であるかどうか、その信頼性を見極めるために、相手の行動をしばらくじっくりと観察してから判断する」というのだ。

 「声」というのも、「一瞬で最適な相手を見つける」という男性の側の判断基準の一つになっているのかもしれないなと思った。まだ、携帯電話もなかった何十年も前に、電話で家内の声を聞いていると、胸が躍り、ワクワクしさえしたことがあったことを覚えている。

 電車の降り際に、後ろの座席の女性たちの顔をそっと覗いてみた。もう健やかに眠っている彼女たちは、あたりまえだけれども、まだ十代のあどけなさを残した子供ではないか!こんな子供たちの声に心をときめかせるとは、俺もどうかしている。しっかりせよ!と自分に言い聞かせてまた新聞に目を落とした。

藤井由幸

薬物乱用防止教室 
月曜日, 2月 16, 2009, 02:05 PM - 2009年02月
 昨日のテレビで、京都大学の学生が、大麻所持の現行犯で逮捕されたということが報道されていました。「京大生よ、おまえもか!」と言いたくなるほど、立派な大学に進学した若者が薬物に染まってしまっているようで、誠に残念でなりません。ライオンズクラブでは、各地域の警察署などとも連携して、小・中・高等学校の児童・生徒に対して、「薬物乱用防止教室」ということで、薬物に染まらないように早くから注意を喚起する啓蒙活動を行っています。

 私もこの趣旨に賛同し、「認定講師」という資格を取って、子供たちへの啓もう活動に参加し、地元の小・中学校での講演も、1年余りの間に5校で行いました。以下は、その内、ある中学校で講演した内容を記録したものです。

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 みなさん、こんにちは!

 きょうは、四日市ライオンズクラブから、大勢の仲間とともに参りまして、その代表としてみなさんにおよそ10分ほど、「ダメ。ゼッタイ。薬物乱用防止」というテーマでお話をさせていただきますので、しばらくお付き合いください。

 本題に入る前に、今日この常磐中学に来てすぐ気がついたことがあります。それは、みなさんが、「こんにちは!」と大きな声を出して私たちを出迎えてくれたことです。それが、一人や二人ではなくて、あちこちから、また、先生方からも同じように挨拶の声がかかってくるので、大変感心しました。校長先生にお伺いすると、地域ぐるみで挨拶運動をやっておられるということで、ますます感心しました。こういう挨拶がしっかりとできている学校には、「薬物乱用」という悪魔をはねつける力が備わっているのではないか、とさえ思っています。

というのは、挨拶というのは、
「私は、あなたを、大事にかんがえていますよ、敬意を払っていますよ、存在をちゃんと認識していますよ」
ということを声に出して表現するということなんです。英語の文法で出てくる一人称、二人称・・・I,YOU、という関係を意識して、あなたを大切に思っていますよ、ということを知らず知らずのうちに言っているんです。挨拶のできる人は、相手のことを大切に思うから、自然と自分のことも大切に思うようになります。だから、自分を大切に思う人は、薬物なんかには絶対に手を出さなくなるんです。

実は、私は市内の羽津町で、繊維関係の小さな町工場を経営していますが、「オアシス」という挨拶運動を約80名の社員全員で進めています。みなさん、「オアシス」運動って知っていますか?
「オアシス」というのはもちろん、砂漠の中の泉で、すがすがしい響きを持っていますが、ここでは、

オ・・・おはようございます
ア・・・ありがとうございます
シ・・・しつれいします
ス・・・すみません

では、みんなで一度やってみましょうか。ちょっと姿勢を正してください。
私の後について、大きな声で、元気よく言ってください。

オ・・・おはようございます
ア・・・ありがとうございます
シ・・・しつれいします
ス・・・すみません

ありがとうございました。
こんなに元気よく「オアシス」を言ってもらえると、私の話は、これでもう終わった
ようなものですが、付録にちょっとだけ薬物にまつわる私の経験をお話しておきましょう。私は、今の会社で仕事をする前に銀行に勤めていたことがあって、そのときに、海外駐在を経験しました。イギリスのロンドンというところに、5年ほど住んでいたことがありましたので、そのときの話を二つ紹介しましょう。

一つは、オランダの首都アムステルダムでの話です。ロンドンに行ったばかりのころですので、今からもう25年ほど前の私がまだ30歳前後のころのことになります。
ロンドンの英会話学校で一緒に勉強したオランダ人の友人と待ち合わせた中心部の公園でぶらぶらと時間をつぶしていますと、ニコニコと笑顔を振りまきながら、今の私くらいのおじさんが近寄ってきて言うんです。

Do you want a bit?

これは、文字通りの意味は「ちょっと、ほしいの?」
ということなので、あまりよく事情の飲み込めない私は、

No, I don't want any.

「いや、何もいらない」とだけ答えて、近寄らないようにしました。でも、あとでオランダ人の友人にこの話をすると、それはたぶん「麻薬を買わないか?」という意味だというんです。
「このあたりには、そういう麻薬の売人という連中が多いから気をつけたほうがいい」
と注意されました。

25年もまえだと、いかにもそれと分かるおじさんが麻薬の売人だったのですが、近頃はどうもそれが、イケメンのおにいさんであったり、ちょっときれいなお姉さんであったり、また、自分の知っている先輩や友人であったりして、しかも、
「ちょっとだけ試してみない?」 とか、
「気分がすっきりするんだよな」 などと、言葉巧みに誘ってくるんだそうです。

皆さんは、挨拶もしっかりできて、自分を大切にする、相手を大切にする、そして家族を大切にするという気持ちがしっかりしているから大丈夫だとは思うけど、「一度でも甘い言葉に誘われて薬物に手を出したら大変なことになる」という気持ちを強く持って、

No, I don't want any.
といえなくても、

No! とか、ダメ!ゼッタイ!
とか強く言ってほしいものだと思います。

実は、この話には続きがあって、ロンドンからアムステルダムまで私は愛車のBMWというスポーツタイプの車でフェリーを乗り継いで一昼夜かけて行ったのですが、「行きはよいよい、帰りは恐い」といいますか。イギリス側のドーバーの港にフェリーで着いたときにひどい目にあいました。
何かといいますと、若い私が、高級車のBMWでアムステルダムまで行って帰って来たというので、税関で私自身が麻薬の売人と疑われてしまったのです。それで、税関で取調室のようなところに連れて行かれて尋問は受けるは、私の車はほとんど分解されるかと思うほど、タイヤの中まで徹底的に調べられるは、麻薬犬は出てくるはで、まるで犯罪人のような扱いです。4,5時間たって私の車には、当然のことですが、薬物らしきものは何もないということが分かってようやく開放されました。

その時はずいぶんと不愉快な思いをしましたが、後になってよくよく考えると、「ああ、こうして水際で薬物の侵入を防いでくれているんだなあ」と、税関の皆さんに感謝したい気持ちになりました。イギリスばかりでなく、同じように海に囲まれた日本も税関や、麻薬Gメンといわれる人たちの活躍で私たちの安全な生活が守られているんだなあ、と感じました。

もうひとつの話は、ロンドンからの出張でトルコのイスタンブールに行った時のことです。あるセミナーで、当時のオザール大統領と会食をして、充実感にあふれていたのですが、その帰りのイスタンブール空港でのことです。手荷物を預けるために、チェック・イン・カウンターに並んでいると、子供を連れたおばさんがやってきて、小さな荷物を私に差し出して言うんです。
「事情があって、子供の荷物を送れないので、ロンドンまで持っていってくれませんか?御礼はしますから」
親切心を発揮して、一瞬そうしようかとまで思ったのですが、やはりここは「君子、危うきに近寄らず」きっぱりと言いました。

I'm afraid I can't help you.・・・残念ですが、お役に立てません。

これもあとで聞いて、背筋がぞっとしたのですが、こういう風に空港で荷物をあずけられるのは、ほとんどが、「薬物の運び屋」をさせられるというケースなんだそうです。トルコでは、麻薬に対する罰則が非常に厳しくて、持っているだけで終身刑、つまり、一生刑務所に入っていなければいないのだそうです。大統領と会食をしたからといって許されるはずがありません。もし、そんなことにでもなっていたら、家族の悲しみは計り知れません。気軽な気持ちが、本当に危なかったんだ、と改めて近づいてくる身の危険に思いをめぐらした次第です。

最近中国で麻薬の密売に関わったとされる日本人に死刑が宣告されたということがニュースに出ていました。このように、海外では非常に厳しい刑罰が待っていることがある、ということも知っておいて頂く必要があると思います。

ここまで、『薬物』についての話をしましたが、少し、『喫煙』つまり、タバコについてもお話をしておこうかと思います。タバコは薬物というわけではありませんが、皆さんは未成年ですから、もちろん、吸うことはできないし、吸っている人はいないと思います。ただ、あなた方の周りの大人の人で吸っている人をよく見かけるでしょうから、それだけ誘惑も多いと思います。

だけども、タバコは君たちのような大脳の成長期にある中学生・高校生にとっては、特に有害です。自分の頭の成長を妨げる働きがタバコにはあるんだ、ということをよーく意識して、もし誘われるようなことがあっても、ゼッタイにNO!といえる勇気を持ってほしいと思います。


以上色々お話しましたが、私たちのような町のおじさんたちも、みなさんのような若い将来のある人が、薬物によって一生を台無しにすることがないように、見守っているんだということを覚えておいて下さい。また、いつか、シンナーや覚せい剤のような薬物をあなたに勧める人が出てきた時に、今日の話を思い出して、「ダメ。ゼッタイ。」という勇気を持ってくだされば、こんなうれしいことはありません。

どうもありがとうございました。

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藤井由幸


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