火曜日, 11月 9, 2010, 05:50 AM
毎月1回行っているきのうの全体朝礼のなかで、クレームを出さない心がけと云うことで以下のような話をしました。毎朝の職場単位のミーティングなどでも繰り返し言っていることなので、社員にとっては「耳にタコ」の話でもありますが、何か事あるごとにこの話を持ち出して、これでもか、とたたみかけるのが私のやり方です。『ある商品で3本の内の1本が抜けている糸がお客さんのところで発見されました。幸い、大きなクレームにはなっていませんが、注意が必要です。一つひとつの仕事を確実に行う、確認しながら進める、ということを徹底してほしいものです。他の人がどうであっても、自分だけは絶対に間違いがないと自信をもって言い切れるような仕事の進め方をすることをしつこいようですがお願いします。
・・・たとえば、車の運転についてみても、踏み切りや「止まれ」のサインのある交差点などの停止線では、「ズルズルと徐行しながら確認して進む」のではなく、確実に停止して、「右ヨシ!左ヨシ!」と指差し確認をしてから渡るようにしたいものです。私自身も、昔は正直に言ってそうではなかったけれども、今では確実に指さし確認を実行しています。駅のホームなどで、駅員さんや車掌さんが「ドアー、ヨシッ!」などと指さし確認をしている姿は誠に気持ち良く安心感を与えてくれます。私たちの仕事の中の節目節目で「確認ヨシッ!」と指さし確認をするのも一つの方法だなと感じています。』
コメントを書く
| related link
金曜日, 11月 5, 2010, 06:54 AM
一部の議員たちだけが国会で見たという「尖閣ビデオ」が動画サイトのYouTubeに投稿されたらしい。投稿したのが海上保安庁の関係者だとしたら、どんな思いだったろうか。重い処分にならないようにしてほしいものだ。いずれ世間の知るところになるだろうとは思っていたが、中国がどんなに騒ぎ出すことになっても、事実は事実として、曲げられないことだから、やはり公開して世界中にありのままの姿を見せて、日本がいかに中国の横暴に「柳腰」でもって耐えたかを示した方がいいのではないかと思う。そもそも、中国に気兼ねしてなのか、それともうまく丸めこまれたのか、ビデオを公開しないという政治決定をしたことが、このような不幸な結末を招いたのだ。木曜日, 11月 4, 2010, 08:43 AM
アメリカでは中間選挙が実施され、オバマ大統領率いる民主党は、失業率の増加に歯止めがかからないなど経済政策の失敗がたたって大敗。「未来を託せぬ政治への怒り」がその原動力となった、と今朝の新聞は伝えています。日本でも、民主党の菅政権に対する同じような批判が高まっています。中国やロシアとの外交問題を抱え、また、「小沢問題」にも揺さぶられながら、「未来を託する」ことができるような政策を菅政権が打ち出すことが出来るのか、これからの動きが気になるところです。それにつけても、昨日の日本シリーズの中日の勝利は見事だったと思います。落合監督の采配には色々と文句のつけたいところが多いけれど、結果よければすべてよし。やはり、洋の東西を問わず、上に立つものにとっては、結果責任が厳しく問われるということか。嗚呼、常にわが身振り向く秋の空。
水曜日, 11月 3, 2010, 06:31 AM
今日は、文化の日。晴れの日になる確率が異常に高い「特異日」であり、次男の誕生日でもあるこの日を迎えると、日本というのは、自然が豊かで美しく、この国に生まれて本当に良かったなあといつもしみじみと思います。それにつけても、「ソ連は絶対に信用したらアカン」というのは、私が子どものころから、亡父が口癖のように言い続けていた言葉だ。1945年8月の終戦間際に日本がアメリカとの仲裁を頼んでいたソ連は、逆に日本の敗戦を予知して、中立条約を一方的に破棄して、樺太を奪還するばかりか、日本の固有の領土であった北方四島を8月15日のポツダム宣言受諾以降になって侵略し、掠め取ってしまった。そればかりではなく、旧満州にいた多くの日本人兵士や一部の民間人をジュネーブ協定に違反して不法にシベリアに抑留し、その多くが重労働や劣悪な環境のために現地で死亡するという極めて残忍・非人道的なことを自国の都合によってやってのけた。
そんな流れを汲むロシアのメドヴェージェフ大統領が、今月になって国後島に入り、ロシアの領有権を誇示し、占領の既成事実化を進めるなどというのは、到底容認できることではない。来週横浜で開かれるAPECには来て欲しくない、顔も見たくない、というのホンネのところだ。
しかし、そういう個人的な義憤のような感情を抑えてでも、日本はロシアという大国と対等に付き合っていかねばならない、というのもまた「不都合な真実」であると思う。菅総理には、メドヴェージェフ大統領と右手で握手する時に、左手でほほをつねって、
「ひとつきに二度も、日本へようこそ!」
と言ってもらいたい。
金曜日, 10月 29, 2010, 07:12 AM
きのう、雨の中を、北伊勢上野信金の産学官コラボチームのアレンジにより、伊賀地方の二つの会社の視察に出かけてきました。1社は、廃車になった自動車の解体作業をするO社の自動車解体事業部、もう1社は、創業137年の老舗の味噌・しょうゆを醸造するI社の本社工場です。
両工場ともに、1時間ほどかけてじっくりと工場の中を回りながら仕事の中身の説明を受け、あとで事務所に入って代表者から経営方針や苦労話などを伺うということになりました。両社ともに、経営者ならではの大変味わい深い話をお聞きすることができ、感銘を受けました。
特に、解体事業部を視察させていただいたO社のM会長は、30年前に中古車販売から始めた自分の「事業にかける思い」というのを熱く語られて、本当に感動しました。今までの事業での成功の報酬を、社会に還元したいという強い思いから、地球環境の保全に役立つという視点で自動車リサイクルの事業をやっていること、聖路加病院の日野原重明先生と親しく、モンゴルなどで、子どもたちへの地球環境保全の啓蒙活動にいっしょに取り組んでいることなどを話されました。
私が特に素晴らしいと思ったのは、次のような新聞記事を自ら読んで、「こういう1台1台の廃車になった車の持ち主の気持を考え、それを社員にもしっかりと伝えて仕事に当るようにしている」というところでした。私はまだまだ未熟で、学ぶべきことがたくさんある、ということを実感させられました。
「車との別れ 兵庫県 Oさん 69歳 無職」
『この車ともいよいよお別れである。自動車やさんへ廃車の手続きを頼んでおいたところ、書類をそろえて近く引き取りに行くという電話が入った。亡くなった夫が大切に扱って毎日乗りこなしていた車である。乗る人はいなくなったが、すぐに処分する気にはなれなかった。
朝夕、車庫の窓を開け閉めするたびに眺めては、この車を元気に乗り回していたころの元気な夫の姿を思い出していた。そして、夫の分身のようなこの車を見るたびに、どんなに慰められてきたことか。でも、とうとう手放すときがやってきた。
思えば二年前、車検も済ませ、タイヤも取り替えて新しくして乗り心地がよくなったと喜んでいた直後、身体の不調を覚えて自分で車を運転して病院へ行った。ところがそのまま入院。夫はその後20日余りであっけなく逝ってしまった。
あの朝、再びこの車に乗ることはないとも知らず、車の窓から手を振って「ちょっとみてもらってくるから」といいながら、笑って出て行ったあの様子が忘れられない。私も随分あちこちへと乗せてもらった。ありがとう。ごくろうさま。そして、さようなら。
いつか私がこの世でのすべての仕事を終え、あちらの世へ旅立つ日、夫はきっとこの車を運転して迎えにきてくれると思う。』
Back Next