セクシーな声 
木曜日, 2月 26, 2009, 08:53 AM - 2009年02月
 近鉄特急の中で新聞を読んでいると、後ろの席から若い女性の会話が聞こえてくる。 何気なく聞いていると、どうやら受験のことを話しているらしい。「前期試験はちょっと失敗してしまったけど、後期でがんばろうと思っている・・・」などと言っている。そう言えば、今は国立大学の受験の時期なんだ。

 しかし、話の中身はどうでもいいのだけれど、彼女たちの声の響きは何と耳に心地よいのだろう。実にうっとりとするような陶酔感にひたれるセクシーな声だ。ああ、もうすこしさえずっていてほしい。うん、鳥も異性を引き付けるために鳴き声を発するのだとかいう。さすれば、人間だってアルファー波のような脳に心地の良い声によって異性を引き付けたり、引きつけられたりする本能が生理的に備わっているとしても不思議ではないじゃないか。

 そう言えば、最近教育テレビの番組だったかで、人間が異性を好きになる仕組みについてこんな解説をしていた。いわく、「人類には数万年も前から厳しい環境の中でも子孫を絶やさないという種の使命を果たすために、どのような異性に対して好感を持つかというメカニズムを築き上げてきた。男性は、いつ死ぬかもわからない環境の中で自分の遺伝子を残す相手を瞬時に見極めなければならない。その基準は、『女性の体形』だ。つまり、自分の子を宿してくれるかどうか,その体型を見て一瞬のうちに判断する。女性の方は、自分の産んだ子を少なくとも3年間、一緒になって育てることに協力してくれる相手であるかどうか、その信頼性を見極めるために、相手の行動をしばらくじっくりと観察してから判断する」というのだ。

 「声」というのも、「一瞬で最適な相手を見つける」という男性の側の判断基準の一つになっているのかもしれないなと思った。まだ、携帯電話もなかった何十年も前に、電話で家内の声を聞いていると、胸が躍り、ワクワクしさえしたことがあったことを覚えている。

 電車の降り際に、後ろの座席の女性たちの顔をそっと覗いてみた。もう健やかに眠っている彼女たちは、あたりまえだけれども、まだ十代のあどけなさを残した子供ではないか!こんな子供たちの声に心をときめかせるとは、俺もどうかしている。しっかりせよ!と自分に言い聞かせてまた新聞に目を落とした。

藤井由幸

薬物乱用防止教室 
月曜日, 2月 16, 2009, 02:05 PM - 2009年02月
 昨日のテレビで、京都大学の学生が、大麻所持の現行犯で逮捕されたということが報道されていました。「京大生よ、おまえもか!」と言いたくなるほど、立派な大学に進学した若者が薬物に染まってしまっているようで、誠に残念でなりません。ライオンズクラブでは、各地域の警察署などとも連携して、小・中・高等学校の児童・生徒に対して、「薬物乱用防止教室」ということで、薬物に染まらないように早くから注意を喚起する啓蒙活動を行っています。

 私もこの趣旨に賛同し、「認定講師」という資格を取って、子供たちへの啓もう活動に参加し、地元の小・中学校での講演も、1年余りの間に5校で行いました。以下は、その内、ある中学校で講演した内容を記録したものです。

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 みなさん、こんにちは!

 きょうは、四日市ライオンズクラブから、大勢の仲間とともに参りまして、その代表としてみなさんにおよそ10分ほど、「ダメ。ゼッタイ。薬物乱用防止」というテーマでお話をさせていただきますので、しばらくお付き合いください。

 本題に入る前に、今日この常磐中学に来てすぐ気がついたことがあります。それは、みなさんが、「こんにちは!」と大きな声を出して私たちを出迎えてくれたことです。それが、一人や二人ではなくて、あちこちから、また、先生方からも同じように挨拶の声がかかってくるので、大変感心しました。校長先生にお伺いすると、地域ぐるみで挨拶運動をやっておられるということで、ますます感心しました。こういう挨拶がしっかりとできている学校には、「薬物乱用」という悪魔をはねつける力が備わっているのではないか、とさえ思っています。

というのは、挨拶というのは、
「私は、あなたを、大事にかんがえていますよ、敬意を払っていますよ、存在をちゃんと認識していますよ」
ということを声に出して表現するということなんです。英語の文法で出てくる一人称、二人称・・・I,YOU、という関係を意識して、あなたを大切に思っていますよ、ということを知らず知らずのうちに言っているんです。挨拶のできる人は、相手のことを大切に思うから、自然と自分のことも大切に思うようになります。だから、自分を大切に思う人は、薬物なんかには絶対に手を出さなくなるんです。

実は、私は市内の羽津町で、繊維関係の小さな町工場を経営していますが、「オアシス」という挨拶運動を約80名の社員全員で進めています。みなさん、「オアシス」運動って知っていますか?
「オアシス」というのはもちろん、砂漠の中の泉で、すがすがしい響きを持っていますが、ここでは、

オ・・・おはようございます
ア・・・ありがとうございます
シ・・・しつれいします
ス・・・すみません

では、みんなで一度やってみましょうか。ちょっと姿勢を正してください。
私の後について、大きな声で、元気よく言ってください。

オ・・・おはようございます
ア・・・ありがとうございます
シ・・・しつれいします
ス・・・すみません

ありがとうございました。
こんなに元気よく「オアシス」を言ってもらえると、私の話は、これでもう終わった
ようなものですが、付録にちょっとだけ薬物にまつわる私の経験をお話しておきましょう。私は、今の会社で仕事をする前に銀行に勤めていたことがあって、そのときに、海外駐在を経験しました。イギリスのロンドンというところに、5年ほど住んでいたことがありましたので、そのときの話を二つ紹介しましょう。

一つは、オランダの首都アムステルダムでの話です。ロンドンに行ったばかりのころですので、今からもう25年ほど前の私がまだ30歳前後のころのことになります。
ロンドンの英会話学校で一緒に勉強したオランダ人の友人と待ち合わせた中心部の公園でぶらぶらと時間をつぶしていますと、ニコニコと笑顔を振りまきながら、今の私くらいのおじさんが近寄ってきて言うんです。

Do you want a bit?

これは、文字通りの意味は「ちょっと、ほしいの?」
ということなので、あまりよく事情の飲み込めない私は、

No, I don't want any.

「いや、何もいらない」とだけ答えて、近寄らないようにしました。でも、あとでオランダ人の友人にこの話をすると、それはたぶん「麻薬を買わないか?」という意味だというんです。
「このあたりには、そういう麻薬の売人という連中が多いから気をつけたほうがいい」
と注意されました。

25年もまえだと、いかにもそれと分かるおじさんが麻薬の売人だったのですが、近頃はどうもそれが、イケメンのおにいさんであったり、ちょっときれいなお姉さんであったり、また、自分の知っている先輩や友人であったりして、しかも、
「ちょっとだけ試してみない?」 とか、
「気分がすっきりするんだよな」 などと、言葉巧みに誘ってくるんだそうです。

皆さんは、挨拶もしっかりできて、自分を大切にする、相手を大切にする、そして家族を大切にするという気持ちがしっかりしているから大丈夫だとは思うけど、「一度でも甘い言葉に誘われて薬物に手を出したら大変なことになる」という気持ちを強く持って、

No, I don't want any.
といえなくても、

No! とか、ダメ!ゼッタイ!
とか強く言ってほしいものだと思います。

実は、この話には続きがあって、ロンドンからアムステルダムまで私は愛車のBMWというスポーツタイプの車でフェリーを乗り継いで一昼夜かけて行ったのですが、「行きはよいよい、帰りは恐い」といいますか。イギリス側のドーバーの港にフェリーで着いたときにひどい目にあいました。
何かといいますと、若い私が、高級車のBMWでアムステルダムまで行って帰って来たというので、税関で私自身が麻薬の売人と疑われてしまったのです。それで、税関で取調室のようなところに連れて行かれて尋問は受けるは、私の車はほとんど分解されるかと思うほど、タイヤの中まで徹底的に調べられるは、麻薬犬は出てくるはで、まるで犯罪人のような扱いです。4,5時間たって私の車には、当然のことですが、薬物らしきものは何もないということが分かってようやく開放されました。

その時はずいぶんと不愉快な思いをしましたが、後になってよくよく考えると、「ああ、こうして水際で薬物の侵入を防いでくれているんだなあ」と、税関の皆さんに感謝したい気持ちになりました。イギリスばかりでなく、同じように海に囲まれた日本も税関や、麻薬Gメンといわれる人たちの活躍で私たちの安全な生活が守られているんだなあ、と感じました。

もうひとつの話は、ロンドンからの出張でトルコのイスタンブールに行った時のことです。あるセミナーで、当時のオザール大統領と会食をして、充実感にあふれていたのですが、その帰りのイスタンブール空港でのことです。手荷物を預けるために、チェック・イン・カウンターに並んでいると、子供を連れたおばさんがやってきて、小さな荷物を私に差し出して言うんです。
「事情があって、子供の荷物を送れないので、ロンドンまで持っていってくれませんか?御礼はしますから」
親切心を発揮して、一瞬そうしようかとまで思ったのですが、やはりここは「君子、危うきに近寄らず」きっぱりと言いました。

I'm afraid I can't help you.・・・残念ですが、お役に立てません。

これもあとで聞いて、背筋がぞっとしたのですが、こういう風に空港で荷物をあずけられるのは、ほとんどが、「薬物の運び屋」をさせられるというケースなんだそうです。トルコでは、麻薬に対する罰則が非常に厳しくて、持っているだけで終身刑、つまり、一生刑務所に入っていなければいないのだそうです。大統領と会食をしたからといって許されるはずがありません。もし、そんなことにでもなっていたら、家族の悲しみは計り知れません。気軽な気持ちが、本当に危なかったんだ、と改めて近づいてくる身の危険に思いをめぐらした次第です。

最近中国で麻薬の密売に関わったとされる日本人に死刑が宣告されたということがニュースに出ていました。このように、海外では非常に厳しい刑罰が待っていることがある、ということも知っておいて頂く必要があると思います。

ここまで、『薬物』についての話をしましたが、少し、『喫煙』つまり、タバコについてもお話をしておこうかと思います。タバコは薬物というわけではありませんが、皆さんは未成年ですから、もちろん、吸うことはできないし、吸っている人はいないと思います。ただ、あなた方の周りの大人の人で吸っている人をよく見かけるでしょうから、それだけ誘惑も多いと思います。

だけども、タバコは君たちのような大脳の成長期にある中学生・高校生にとっては、特に有害です。自分の頭の成長を妨げる働きがタバコにはあるんだ、ということをよーく意識して、もし誘われるようなことがあっても、ゼッタイにNO!といえる勇気を持ってほしいと思います。


以上色々お話しましたが、私たちのような町のおじさんたちも、みなさんのような若い将来のある人が、薬物によって一生を台無しにすることがないように、見守っているんだということを覚えておいて下さい。また、いつか、シンナーや覚せい剤のような薬物をあなたに勧める人が出てきた時に、今日の話を思い出して、「ダメ。ゼッタイ。」という勇気を持ってくだされば、こんなうれしいことはありません。

どうもありがとうございました。

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藤井由幸


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人は何を残すのか 
土曜日, 2月 7, 2009, 11:39 AM - 2009年02月
 この不況の中、私はある大きな決断をした。
 既存の事業が先細りとなる中で、新規の事業に活路を見出すべく、大きく舵を切った。大きな借り入れもしたし、失敗は許されない。私は家内を説得し、自分たちの生活は切り詰めて、土地などの個人資産をすべて事業につぎ込むことにしたのだ。

 正月に息子たちが帰ってきたときには、私からこう説明した。
「お父さんは、今やろうとしている事業に全財産をつぎ込むことにした。成功しても失敗しても、事業が大きく残るか、小さく残るかという違いがあるだけで、君たちには財産は残らないと覚悟してくれ。君たちのおじいさんから受け継いだ資産を、事業のために使うというお父さんの我がままを許して欲しい。君たちは、自分で自分の生活を切り開くことを考えてくれ」

 すると、長男がこう言った。
「お父さんは、自分のやりたいことをやればいいのではないか。財産とか残らなくても仕方がない。でも、お父さんは、僕たちを立派に育ててくれたではないか。僕たちの中に、お父さんの経営思想みたいなものは受け継がれていると思うよ」
次男も、即座に同意の相槌を打った。私は、自分の好きなように、自分の人生を歩んでいるのだけれど、子どもたちは、それでも「オヤジの背中」を見てくれていたのかと思い知った。そうか、私の知らぬ間に、息子たちはこんなに立派に育っていたのか。私はいい息子たちに恵まれて本当に幸せだと心から感激した。

 しばらく後に、日経新聞の「今の政治は何を残すのか」というコラム(*)に、「戦前に首都・東京の大改造など百年先を見越した国家戦略の重要性を説き続け、大風呂敷といわれた後藤新平が後進に託した言葉がある」ということで、次の言葉が紹介されていて驚いた。

「カネを残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ。」

 後藤の言によれば、私は「上」にて死ねる資格があるということではないか。気をよくしたのは言うまでもない。そうだ、もう何も恐れることはないではないか。ひたすらに、自分の信念に基づいて行動するのみだ!夕食の鍋をつつきながら、隣にいる家内に元気よくこう言った。
「オレは『人を残した』ということになりそうだし、50の手習いで始めたオペラも人前で歌える程度にはなるし、こんな亭主は世の中広しといえども、何人もいないやろう。オンリー・ワンやろうなあ!」
 すると勢い良い返事が返ってきた。
「オンリー・ワンなんかいらんから、もっと仕事に集中して稼ぐことを考えたらどう!」

  あいたたッ!一本やられた。30年前に結婚したばかりの頃は、あれほどひ弱だった家内がこれほどまでに肝っ玉が据わるようになってきたとは。そうか、オレは子どもたちばかりでなく家内も育て上げたということなのか?!

藤井由幸

(*)平成21年1月18日日経新聞朝刊「風見鶏」