心の栄養 
火曜日, 1月 9, 2007, 06:45 AM - 2006年12月
 世間では、昨日は成人の日の休日で、3連休というところも多かったようで
すが、私たちは、そのうちの二日も働きました。大変ご苦労様でした。でも、
健康で働けるというのは本当に幸せなことなんだなあと思います。

 移動中にNHKラジオをつけたら、「いのちの対話」という特別番組を放送
していて、関西のホスピスの医師の手紙を朗読していました。

「末期の食道がんで81歳のおばあちゃんが入院してきました。ほとんど何も食
べることができず、水と栄養注射だけしか受け付けず、余命は1ヶ月と宣告され
ていたのです。ただ、このおばあちゃんは、非常に明るく、『自分は,いつ死ん
でもいいんです。ただ、生かしてもらっている間は、一生懸命に生きたい』と
言って、次々と小説を読破していくんです。私が、医療支援でイラクに派遣され
て、何ヵ月か後に日本に帰ったときには、奇跡が起きていました。このおばあちゃ
んが、元気に生きていたのです。おみやげに買ってきたチョコレートを嬉しそう
になめてくれました。このおばあちゃんは、その後半年経っても、まだ生き続け
ています。医学的には、とても考えられないようなことなのですが、私は、はた
と思いました。『このおばあちゃんは、心で栄養を採っているんだ。』前向きな気
持ちで、心に栄養を採ると、人間の体というのは不思議な活力が湧いて来るんだ
と、ようやく理解できました。」

 私は、この番組のほんの一部だけを聴いただけでしたが、「人生で最も感動
した場面」というのが何人ものひとから紹介されていたようです。私も、最後の
お医者さんの手紙だけで、とても感動しました。締めくくりに、パネリストの瀬戸内
寂聴さんが言っていました。
「NHKもこういういい番組を作っていれば、色々と世間から批判を受けることも
ないのにねえ」
そうだ!そのとおり!NHK頑張れ!


父の納骨 
月曜日, 12月 25, 2006, 06:54 AM - 2006年12月
 暮も押し詰まった昨日の日曜日に京都東山の大谷本廟へ父の納骨に行ってきました。浄土真宗の開祖である親鸞聖人がそこにまつられているということで、「その徳にあやかって、おそばに永遠に眠りたいということで、本廟への納骨という風習があるのだ」とお寺さんの奥様におききしました。ただ、大谷本廟の「無量寿堂」という納骨堂で、若いお坊様の透き通ったお経の声をきいていると、心が洗われるようでした。親鸞聖人の言われるとおり「諸行は無常」であり、死すればどのような聖人であろうが罪びとであろうが、すべての人は土に帰る。人生は一度しかないのだから、人様に迷惑をかけない限り、自分のやりたいことにチャレンジするという姿勢を持ち続けることは、とても大切なことだ、と改めて実感しました。また、新しいエネルギーを父からもらったような気がして、とてもすがすがしい気分になれたということを報告しておきます。

1 comment ( 62 views )   |  related link

第九合唱 
月曜日, 12月 18, 2006, 06:21 AM - 2006年12月
 17日までは歌手だからと、あれだけ用心していたのに、風邪を引いてしまいました。ちょっとせきが出ますが熱はないので、たいしたことはなさそうです。でも、みなさんに、「風邪をひくな」「うがいをしなさい」と言っている本人が風邪ひいたんでは、面目ない。「たるんでいる」としか言いようがありません。
 それでも、声は良く出ます。先週の「第九合唱」のオーケストラとの合同練習では、指揮者の先生が「ソリスト(独唱)をやりたい人は前に出てください」というので、バリトン(中・低音部)代表で指揮者とオーケストラの間に立って、オケと合唱をバックにしてソロを歌わせてもらいました。こういう経験は、めったに出来るものではなく、自分でもとても感動しました。合唱団の人やオケの団員の方から「とてもよかったですね」と言われると、ついついその気になってしまいます。
 そして、昨日の日曜日、四日市文化会館で催された、ベートーベンの交響曲第九番「合唱」の演奏会に、合唱団の一員として参加しました。3ヶ月ほどの練習期間を通じて積み上げてきた努力の成果を一気に歌い上げたわけですが、それは、まことにさわやかな達成感のあるイベントで、自分自身がその感激に酔いしれました。
 ベートーベンの「第九」には、二つの意味が込められています。ひとつは、「喜び」です。耳が聞こえなくなっていたベートーベンは、この「第九」のはじめての演奏を指揮し終えたときに、観客の割れんばかりの拍手喝さいが聞こえず、振り向いて観客の表情を見て、ようやくその熱狂振りに気づいたということです。彼は、「苦悩を突き抜けて、歓喜に至れ」という有名な言葉を残したそうですが、健康でいればこそ、このような演奏会に参加できるという喜びをかみしめました。
 第二の意味というのは、これも演奏会のパンフレットに書かれていたことですが、「平和への願い」です。ベートーベンが生きた200年前、19世紀の始めも、ナポレオンが活躍していた戦争の絶えない時代でした。この歌を歌えるような平和で豊かな日本のような国がある一方で、貧困や戦禍に苦しんでいる人々も世界中には多くいます。実は、シラーの書いた歌詞の中には「すべての人々がみな兄弟になる」という言葉があって、世界の人々の平和を願うという強いメッセージが込められています。
 「こういうメッセージを観客の皆さんに届けるように歌おうじゃありませんか」という指揮者の浜津先生の言葉に促されて、まさに激唱してしまいました。たくさんの皆さんに来ていただきましたが、このメッセージの一端をハートで感じていただいたとしたら、これほどの喜びはありません。ありがとうございました。


挨拶の効用 
月曜日, 12月 4, 2006, 06:28 AM - 2006年12月
 国道23号線から楠工場へ向かう途中のサークルKの近くで、下水道工事かなんかをやっていて、この1週間ほど片側通行になっているところがあります。わずか20mほどの区間ですが、わざわざ警備の人がその両側に赤白の旗を持って、寒い中を交通整理に当ってくれています。
 まことにご苦労なことだと思って、毎日その区間を通るたびに、軽く手を上げて心の中で「ご苦労さん」と言っていたのですが、この間は、私がいつものように手を上げると、警備のおじさんがにっこり笑って、会釈をしてくれるではありませんか。どうも、私の顔を覚えてくれたようです。
 たわいのないことかもしれませんが、毎日の挨拶で、「ご苦労さん」「わかってくれてありがとう」という声にならないお互いの気持ちが通じ合ったような気がして、とても嬉しく思いました。
 みなさんには、毎朝のミーティングのなかで、「オアシス」の発声もやっていただいていますが、職場も重要な生活の場ですから、お互いが気持ちよく過ごせるように、気持ちのよいあいさつを心がけたいものだと思っています。

  *オアシス=おはよう/ありがとう/しつれいします/すみません


外国人研修生 
金曜日, 12月 1, 2006, 06:42 AM - 2006年12月
 先日NHKの「クローズアップ現代」という番組をみていたら、外国人労働者の雇用の実態というテーマでその問題点を指摘していました。愛知県のある自動車部品工場では、ベトナムからの研修生を大量に受け入れ、時給350円で1日12時間以上働かせた上で、逃げないようにパスポートを取り上げて,寮の一室に10人も押し込めるという、全く人権無視の劣悪な労働環境にベトナムの少女たちが泣いている、というレポートでした。まるで戦前の「女工哀史」のような話ですが、これが「史上最高益」に酔いしれている自動車産業の実態なのかなと思います。
 一部の超大企業は絶好調で景気を引っ張る牽引車の役割を果たしているわけですが、その陰で、下請けの中小企業には違法まがいのことを平気でやらせてその成果を全部吸い上げているという構図が浮かび上がってきます。外国人労働者は、「なんとか組合」という業界組織を通じて、「3年間の研修生」という形で日本に送り込まれるルートになっているのですが、研修とは名ばかりで、実態は格安の労働力ということのようです。
 私は、歯を食いしばっても違法な外国人雇用には手を出すまいと思っています。外国人を差別しようということでは決してありませんが、日本に対して恨みをもたれるようなやり方は良くないと考えています。「安い労働力」として外国人を使うだけ使っておいて、いらなくなったらポイ捨てにして、地域の犯罪の温床になっても平然としている、というような非人間的なやり方をしていては、どんな超優良企業にも必ず天罰が下る、ということにならなきゃええんですがねえ。